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『狭き門より入れ』を観てきました。
うん、文句なく、素晴らしかった!
わーっと発散するタイプの舞台ではなく、じんわりと残る芝居でした。
シリアスな終末論+SF+ちょっぴりホラー+家族愛(人類愛?)、そんな感じかなぁ?
会場に入った瞬間目に飛び込んできたコンビニは、舞台の広さから考えてえらくこじんまりとしたセットだなぁと思ったんですが、始まってしまったらあぁ、なるほど!と。
後ろの席の人が途中あーだこーだうるさいのには閉口しましたが、14列目だったのでサンパレスでの観劇にしては、比較的ストレスなく観ることができました。
何かと笑えるシーンも多いですが、その裏で悲しさや哀れ、憤りなどが其処此処に溢れていました。
特に後半は、会場内で笑いが起こっているシーンでも、とにかく涙ぐみっぱなしでした。
世界の更新についてすべてを悟ってしまった天野(佐々木さん)が、必死に足掻き、もがいている姿にも笑い声が巻き起こっていましたが、私はひたすら涙をこらえて息を詰めていましたよ。
特に、ラスト近く。
世界の更新について何も知らない、自分のことも忘れてしまっている弟に「明日世界が終るとしたら何をするか」と問いかけるくだり。
「家族と食卓を囲んで米を食う」と言った弟にも「うっ」と来たんですが、それを聞いた天野が、売り物のおにぎりを勝手に取って食べ始めた辺りで、うるうるきはじめて…。
さらにそれをふたつにわけて弟に渡し、店内の椅子に座ってテーブルを囲んだ時には、もう涙で舞台が良く見えなかったです…。
まぁ普通に見れば(弟視点なら)、見知らぬ客が自分のコンビニのおにぎりを突然勝手に取って食べ始め、なおかつそれを分けて店長の自分に差し出して、隣に座って食えという…という状態ですから、笑っちゃうところではあるんですけれどね。
でも、弟の「家族と食卓を囲んで米を食う」を聞いた後だったから、そりゃ泣けるでしょう!?
仲違いしたままの父親が死んでしまった今、彼にとって本当に家族といえるのはたぶん弟だけで、だからこそ、たとえ自分のことを忘れてしまっていたとしても、家族として最後に食卓を囲みたかったのかなぁなんて。
そして、今のままではその弟も、世界の更新とともに失ってしまう。
なぜ旧世界に残されるのが自分ではないのか、そう思うと安穏となどしていられない。
けれども、考えて悩んだからといって、その選択を変える術があるわけではない。
世界の更新の真実を知らなかったなら、弟を犠牲にしなければ新世界へ行けないということに気付きもしなかっただろう。
だが知ってしまった今は、知っているということが、大きな枷にすらなってしまう。
無限に思えるパラドックスに陥った感じ、出口の見えない迷宮をさ迷っていると言ってもいいような。
しかも、タイムリミットは刻一刻と迫ってくる。
一体どうすれば弟と立場を入れ替え、皆を救えるのか…。
最後の最後に弟と立場を入れ替えることができ、柱(人柱ってことなのかなぁ?)として旧世界に残った天野が、3年たった後も絶望することなく生きたことを祈ります。
そして、私も明日からはいつ世界が更新されても後悔しないよう、生きたいなぁって思います。
うん、たぶんすぐ忘れちゃうけど;;
あと、コンビニに入るのにちょっと勇気がいるようになったかもしれませんwww
それから、カーテンコールの時、一応楽日だったからか、客席に向かってパンッと花火(?)っていうかなんていうか、ゴールドのテープが舞いました。
舞台上の俳優陣には知らされていなかったのか、佐々木さんなんか本気で驚いていたようでした。
こっちも驚きましたが、楽しかったしきれいだったですv
もういっかい観たいと思える芝居でした。